おあとがよろしいようで?

おはようございます。

今日も有難うございます。

11月16日の木曜日です。

お休みをいただいています。

お休みには考えることや思うこともあり…

そんな時間も少しあります。

また、動いてみようとか…

本を読んでみようとか…

音楽を聴いてみようとか…

何を見てみようとか…

そんなことも思いますし、できるひとときです。

生きています。

生きていることは有難いことです。

いまを生きることは生きている現実です。

さて、先日、とある本を読んでいて…

落語のくだりがありました。

たまぁに、落語を楽しみたくなるのですが…

落語って、古典芸能ですし…

表現の極みです。

するってぇとなにかい?

という感じです。

はいよぉ…

なんだい、おまえさん…

という感じもしますね。

ところで…

よく…

おあとがよろしいようで…

というくだりを聴くことがありますね。

これで、話が終わりとか…

オチも終わりました…

そんな感じの受け止め方や、そんな意味と思われているときもありますが…

実は、本来の意味ではないようです。

後の準備が整ったという意味です。

前座の方の噺が終わりに差し掛かり…

後ろに控えている方やトリの方の支度が整ったという意味で使われていたようですが…

最近では、落語の寄席では、あまり使われなくなってきているようですし…

後の準備が整ったというよりも…

話を切り上げるときの口上みたいになっていますね…

そういえば、初めて落語に触れたのは、学生のときの学校寄席でした。

話芸って、すごいなぁ…

と感動したものです。

その後、寄席には、そんなに足を運んだことはありませんが…

CDなどで、時々、聴いたりしていたものです。

実は、横浜には、にぎわい座があり…

落語や芸事を楽しめるのです。

話を元に戻して…

おあとがよろしいようで…

そんな意味を伝えてくれたのは、書籍の世界なのですが…

この年齢で、いまの経験だから、理解ができて、その世界観を楽しめたり、泣けてみたりとかできるのが、読書のいいところです。

感じ方や楽しみ方、そして、悲しみ方さえも、人それぞれです。

ということで、おあとはないのですが…

よろしいようで…

お休みのひとときをいただきます。

有難うございます。

どなたさまも素敵な木曜日をお過ごしください。