スポーツの暴力問題?体育会系?

某スポーツのコーチの暴力の映像をじっくりと観る機会があった。

じっくりと見た。

暴力は良くない。

体育会系だから?

と、暴力はともかく、力で押さえる指導が横行している日本のスポーツの世界。

変わらなきゃ?

というポイントにいるのかもしれません。

東京五輪に向けて、利権も絡んできているのかもしれませんが…

さて、あの暴力シーン。

指導とは言え、また選手が納得していると記者会見をしているとは言え、強力な暴力シーン。

かなりの迫力でした。

まともに受けていたら、大怪我で流血ものの暴力指導の映像でした。

受け手が、うまく逃げながら張られているから大怪我にはなっていない。

絶妙なタイミングで避けながら、受けています。

まともに受けていたら、かなりの大怪我になる張り手です。

アントニオ猪木さんよりも強力かもしれない張り手でした。

確かに、指導者と選手の信頼関係がなければ、大怪我につながる張り方だった。

いかがなものだろうか?

でも、きっと張っていたコーチ自身が選手時代にも、そういう教育を受けていたと思われます。

おそらく、所属している協会幹部も、同様な感覚の体質であったのだと思われます。

というか、日本の競技スポーツの全てに言えるのかもしれません。

師弟関係という言葉。

体育会系という言葉。

この言葉で、都合よく、誤魔化されて、正当化されているようにも思います。

自主性をそぎ、短絡的な結果を出すためには、黙って聞いて、聞いたままのことをそのままやるように導く指導が、効率の良い方法論なのかもしれません。

かつての軍事教練もそうだったのかもしれません。

ただし、この方法論は、短絡的な結果にしかつながりません。

引っ叩かられることによって学ぶのではなく、強制的にやらされるのではなく、自主的に学ぶことが、人間だから求められます。

あの張り手は、動物やペットの躾と同じです。

思考能力を奪っています。

短絡的には結果になるかもしれませんが、状況判断能力を奪う指導法です。

ここからの脱却が、今の日本のスポーツ界には望まれそうです。

ラグビーの世界では、勝つチーム体質が変わってきました。

以前は体育会系のチームが連覇をしていましたが、現在は違ってきています。

勝利は、うれしく、楽しいものですが、そこに向かうプロセスも、実は楽しいものであることが、スポーツの本質でした。

スポーツは見るものではなく、やるものです。

スポーツの勝利至上主義が、スポーツをかつての軍事教練化にさせています。

スポーツはやりながら、楽しめて、体力アップもできる素晴らしいものです。

スポーツ界全体が、意識を変えていく必要性がありますね?

あとはメディアもそうです。

数字にこだわり、勝利至上主義を流すのではなく、違う部分をクローズアップして見せる必要性があると思います。

日本のスポーツ界が変わらなきゃ?

そういうポイント来ていると思います。

一心不乱にやるだけではなく、考えながら、結果に向かって突き進むこと。

そこから得られることは、スポーツだけではなく、実生活にも応用ができるものです。

スポーツは、本来は楽しいものでした。

原点はそこにあります。

指導者も楽しみながら指導をして欲しいものですね?

実は勝利至上主義の指導から生じている怪我も多いのが現状です。

そんなことからも考えることが多いこの頃です。

変わらなきゃ?

日本のスポーツ界は?